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◆金文会とは
 
金文会は、大正時代に久留米の菊竹金文堂から「のれん分け」で独立していった4人の書店の集まりに端を発します。その書店の輪は九州・中国・四国地方に広がってゆき、教科書の取扱い、活発な外商、多店舗展開等を通して、それぞれの地域に根ざした営業活動をおこなってきました。現在では金文会は、そうした28法人書店によって結成・運営されています。

金文会の会員書店は年間8回の例会(十日会:とおかかい)を通して、書籍販売の向上と書店経営の効率化について学ぶとともに、お互いの親睦を深めています。この十日会は、多数の版元や取次(トーハン)にも参加頂く、大切な業界情報交換と切磋琢磨の場となっています。
 
◆金文会の歴史(明治 ~ 戦前まで)
 
金文会の歴史は、慶応年間より福岡県久留米市に古書店を開いていた二文字屋(現・株式会社菊竹金文堂)に始まります。二文字屋の長男として生まれた菊竹嘉市が、金文会の創立者です。

明治20年代に入り、金文堂は新刊本を東京や大阪の版元から仕入れ、福岡県下はじめ九州全域の一般書店へ卸すようになります。すなわち書籍取次業を始めるのです。明治30年代には講談小説が続々と発刊されるようになり、この大衆路線に乗った金文堂は業容を拡大してゆきます。また明治37年より発行されるようになった国定教科書特約の、福岡県における権利を獲得します。

こうした中、金文堂で10年間の書店修行をした店員4人が、嘉市からそれぞれ独立の許しを得て、大牟田、熊本、八幡、福岡で順次書店を開業するようになります。そして大正3年正月、嘉市は独立した4人を久留米に招いて新年の祝宴を開きました。これが金文会の始まりです。

金文会の書店はその後も人吉、日田、鹿児島、門司等に広がります。大正14年からは会員の書店経営力向上のために、毎年8月に棚卸報告会が開催されるようになります。昭和14年の棚卸報告会に出席した会員書店は26店舗でした。

しかし2年後の昭和16年が、最後の棚卸報告会となりました。その年の5月に、国策会社である日本出版配給株式会社が設立され、全国の書籍取次業はこの1社に統合されたためです。そしてこの年、日本は英米に宣戦布告して、太平洋戦争が開戦されるのです。